※利用規約※ 一読願います 腹の虫 ※動画とは一部内容が異なります。ご了承ください。 私は食べることが好きだ。 和洋中のすべてが好きだ。おいしければジャンルは問わない。 おかげで体重も増える一方だった。 現在では80キロを超えてしまっている。 身長が172センチである事を考えると、健康的とは言えないだろう。 だが、私は幸せだった。 そんな、食を満喫する日々を過ごしていたある日、奇妙なことが起こった。 いつもの定食屋に入り、いつも通り日替わり定食の大盛りを食べた。 それにも関わらず満腹にならない。 店が料理の量を減らしたのだろうか。 だが、うどんの椀もご飯の椀も普段と同じものだし、かさが少ないという印象はなかった。 しかし私はその時、深く考えることなく、店を後にした。 その日を境に私の食生活は満たされなくなった。 どれだけ暴飲暴食しても空腹が満たされない。 舌で味を感じ取るし、喉を通る感覚もある。 何がなんだか分からない。 病院に行くことも考えたが、なんと説明したらいいのか分からない。 「いくら食べても満腹感が得られないんです」とでも言えばいいのか。 そんな事を言えば、医者は「ならばもっと食べなさい」と笑うだろう。 私は「病院は体に不調が現れた時に行けばいい」と考えた。 事実、空腹感は常に付きまとったが、ふらつくような事は一切なかった。 そんな状態が1週間ほど続き、 職場の人達に「痩せましたね」と言われることが多くなった。 この職場では私以外はみんな細身で、大柄な私は目立っていた。 そんな私が痩せたとなれば、職場の話題に上るのは必然だった。 そして彼らはこう続ける。 「どんなダイエットをしたんですか?」 この質問に対して私は「普段通りの生活をしているだけ」と答える他なかった。 すると彼らは「そんなまさか」といった表情を浮かべる。 私の食生活を知っている彼らが驚くのも無理はない。 あれだけの量を毎日食べているにも関わらず、体重が減るなんてあるわけがない。 それが彼らの常識であり、私の常識でもあった。 ただ、私の常識だけは既に覆された後だった。 帰宅後、体重計に乗る。 68キロ。 言葉が出なかった。 この1週間で10キロ以上痩せたというのか。 さすがにこの大幅な減少に私は恐怖した。 しかし体に異常は見られない。 私は部屋の中央にごろんと仰向けに寝転がった。 視線は無意識に腹のほうに向いていた。 その時『何か』が腹の上に乗っていることに気付いた。 プチトマトほどの黒い球体に足が4本生えた『何か』が、私の腹の上にいる。 これは何だ。今まで見た事がない。 どこが顔で、どこが胴なのか分からない。 そもそもコレにそういう区分があるかさえ疑わしい。 私が出口の無い思考を繰り返していると、黒い物体はこちらを向いた。 なぜ向いたと分かったのか。それは口がはっきりと現れたからだ。 そして口角だけを釣り上げる笑いを私に向けた。 それを見て不気味な感覚が体中にめぐった。 さらに驚いたのは、その物体が私の体に入り込むようにして消えた事だった。 不気味な感覚がより一層強まったかと思うと私の意識は落ちた。 眩しさを覚え、目を開ける。 どうやら朝になったらしい。 昨日見たのは夢か幻か。 言い知れぬ気味悪さを感じつつ、職場へと足を運ぶ。 職場に来てからも、あの黒い物体の事が気になって仕方ない。 そんな私の様子を不審に思ったのだろう。同僚がどうしたのかと尋ねてきた。 私は思い切って、昨日見た黒い物体のことを話してみた。 同僚は私の話を最後まで黙って聞いていた。 しかし話が終わると同時に盛大に笑いだした。 「そいつはきっと『腹の虫』だ。お前が食べた飯をそいつが喰っているんだろ」 と同僚はひとしきり笑うと、気にすることないさ、と言い残し、去って行った。 どうやら冗談だと思われたらしい。しかし、この反応は当然だろう。 私が同僚でも同じ反応を見せたことだろう。 だが、私は確かに見た。黒い物体が私の体の中に入り込むところを。 奴が胃に入り込んだとすれば、同僚の発言は的外れでも無いように思えた。 しかし奴を追い出すにはどうすればいいのか分からない。 さらに1週間が経った。体重は減り続け、ついに50キロを下回った。 ここまで急激に痩せると、さすがに体調を維持できないようだ。 めまいが頻発するようになり、常に気だるさがつきまとってくる。 職場でもあまりの痩せように心配のまなざしを向けられるようになった。 上司から「早退して病院に行って来い」と言われた。 しかし私は病院でどうこう出来るものでは無いと思っていた。 とはいえ、その事を上司に説明して納得してもらえるとは到底考えられない。 それに周りの目線が上司の考えに同調している事は明らかだった。 私はその視線から逃げるように職場を後にした。 会社から出ると、ますます気だるさが増すばかり。 しかし病院へ向かう気にはなれず、ふらふらと彷徨った。 気付くと私は河原にいた。どうやらビジネス街から抜けてしまったようだ。 整備されていない河原にはいくつもの泥溜まりがあり、それらは完全に放置されていた。 気だるさに耐えられず、適当な所に腰を落ち着けた。 どこからか声が聞こえた。 声のほうを見ると、ひときわ大きい泥溜まりで子供たちが泥遊びに夢中になっていた。 「ほら、オニギリみたいだろ?」 「じゃあこっちはフランクフルトだ」 子供たちは泥で思い思いに好きなものを作っていた。 それを見ていたら、ふと同僚の言葉を思い出した。 「そいつはきっと『腹の虫』だ。お前が食べた飯をそいつが喰っているんだろ」 私が泥を食べたら、奴も泥を食べることになるのだろうか。 私は手近にあった小さな泥溜まりから、泥を一掴みし、眼前に持ってきた。 覚悟が要った。しかし奴に対して出来る事はこれしかないと思った。 眼を閉じ、泥を口にめがけて放りこんだ。 口の中に広がる土の味。喉を抜ける砂利の感覚。途端に気分が悪くなり横たわる。 続いて激しい腹痛。こんな河原の泥を食べたのだ。当然だろう。 嫌な汗が止まらない。背中を丸めてひたすら耐える。 すると奴があの日のように腹のあたりに現れた。 何かを懸命に吐き出している。泥だ。 口だけの顔に苦々しい表情を浮かべていた。 それを見て少しだけ痛みが和らいだ気がした。 奴は泥を吐き切ると、私の腹から離れてどこかへ行ってしまった。 私の意識はそこで途絶えた。 眼を覚ましたとき、私は病院にいた。 近くで遊んでいた子供たちが救急車を呼んでくれたそうだ。 救急隊員が口の周りが泥だらけな事から、 泥を飲み込んだと察して適切に処置してくれたらしい。 おかげで大事には至らずに済んだようだ。 さいわい医者は私の奇行について触れないでくれた。 或いは偶発的に泥を飲み込んだと思ったのかもしれない。 しかし一体奴は何だったのか。 人に寄生して食べ物を横取りする生物、いや、生物なのかさえ分からない。 生物がヒトの皮膚をすり抜けて体に溶け込むなんて有り得ない。 これ以上考えるのはよそう。答えが出ることは無いのだから。 いずれにせよ、奴はもういない。 体重は40キロまで落ち込んだ。 完 ------------------------------ 作者:日陰 なにかあればこちらまで。 voice_act_scenario☆yahoo.co.jp (☆を@に変えてください) ※この台本は予告なく改変、削除する可能性があります。 サイト掲載日:H24年9月10日 もどる